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地酒の魅力

京都の酒

京都のお酒づくりには、非常に古い歴史があるようです。
今回は、京都のお酒の歴史についてご紹介いたします。 飛鳥時代~奈良時代 5世紀頃、朝鮮から渡来してきた秦人(はたびと)が京都盆地に移住し、現在の太秦の広隆寺一帯や伏見稲荷神社一帯を拠点として、大陸伝来の新技法で、良質なお酒づくりが始まったと言われています。 平安時代 8世紀に入り平安京が造営され、大内裏に朝廷のお酒をつくる役所「造酒司(さけのつかさ)」が設けられ、ますます京都のお酒づくりが発展していきます。

室町時代 京都の酒造りが最も栄えたのは室町時代で、応永22年(1415)には、洛中洛外あわせて342軒の造り酒屋があったと記録に残っています。 江戸時代 文禄3年(1594)豊臣秀吉の桃山城築城後は、城下町として栄えましたが、江戸時代に入ってからは、淀川水運の要地としてますます発展していきました。それと同時に造り酒屋も増加したそうです。 しかし、明治元年に「鳥羽伏見の戦い」が起こり、町の大半が焼失し、酒造もほとんど被災するという、大きな打撃を受けました。 明治時代~現在 明治10年の西南の役以後、 社会も経済も安定しはじめます。 明治22年には東海道線が開通し、それまで2~3週間もかかった東京への酒の搬送もたった1日で可能となったことで、京都のお酒は息を吹き返しました。



広島の酒

広島で清酒醸造が始まったのは、今から470年ほど前と言われています。
お酒造りには、カルシウムやマグネシウムなどのミネラルを含む硬水(高度6~8度)が適していますが、広島の水は、硬度が3~6度の軟水でした。 軟水の場合、醗酵が弱いため、キレ味の良い辛口のお酒ができず、甘口で日持ちも良くないお酒になりやすかったそうです。 その軟水の弱点を逆手にとって、軟水醸造法といわれる画期的な手法が開発されました。 それが、明治20年代のことだそうです。 その手法というのは、まず麹をしっかり育てることです。 硬水だと酵母が活発に働くので麹は若いものを使うそうですが、軟水ではそうはいかないので、麹をしっかり育て米の内部にまで充分に麹が行き渡るようにします。 そうすることで、米の糖化が進んで次のステップの発酵が活発になるそうです。

硬水だと何もしなくても発酵が活発なのに対し、軟水だとその前の段階で充分な下ごしらえが必要になってくるということです。 この広島が生んだ「軟水醸造法」は、軟水の弱点を逆に個性に結びつけた日本初の製法となりました。 そしてその「下ごしらえ」でしっかり造った麹は、香りが高く濃醇な味わいの素となっています。 灘の「男酒」に対して、広島のお酒は、「女酒」と呼ばれ、ふくよかでキメの細かいお酒となっています。 広島酒は、それまで日本になかった、まったく新しい味わいを個性に持つお酒と言えるでしょう。



富山の酒

富山県には、日本百名水の名所が多く存在します。
今回は、北アルプスの良質な清水と酒造に適した米を使い、丁寧に作られた辛口のお酒をいくつかご紹介いたします。

満寿泉(ますいみず)
薫り高くナシやメロンを思わせます。 また米の甘みと旨みが後味としてしっかりあり、濃厚できりりとしたあじわいのお酒です。

銀嶺立山(ぎんれいたてやま)
北陸最大の酒造石高を誇る地元で圧倒的な人気がある一品です。 フルーティな含み香りの辛口で、御真美喉越のバランスがよく女性にも人気があります。

幻の瀧(まぼろしのたき)
日本名水百選の湧き水でつくられています。

徒駒(かしこま)
立ち香はマスカットを思わせます。ほのかな酸味もあります。

銀盤(ぎんばん)
銀盤と言う名前は、昭和初期 富山で初めてのスキー場が出来たことにちなんでつけられました。

羽根屋(はねや)
日本三霊園の1つ立山連峰の伏流水を使い、大寒の時期に醸造されます。

成政(なりまさ)
1980年代の日本酒低迷時に酒販店主が団結してつくられたお酒です。

黒部峡(くろべきょう)
県内で最も古く、1626年創業の酒蔵でつくられました。

三笑楽(さんしょうらく)
世界遺産の合掌集落でつくられました。 マスクメロンの香りととろみが特徴です。



 
 
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